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【鎌倉薪能】鎌倉薪能の歴史


毎年10月、鎌倉宮境内にて行われる鎌倉薪能。

第1回が行われた1959(昭和34)年より受け継がれてきた鎌倉薪能は、薪能発祥と言われる奈良・京都に次ぐ長い歴史を有します。

 

第1回鎌倉薪能

 

薪能は奈良の春日神社や興福寺が発祥と言われ、今日のように能を主体とした形式になったのは室町時代からです。

この古くて優雅な行事を、古都鎌倉にも移そうと、1959(昭和34)年に鎌倉市や観光協会が主催して、鎌倉薪能が始められました。

 

雨のなか観能する来場者

 

古くから続いている能楽流派である金春流宗家の指導のもと、「いつまでも残る鎌倉らしい芸能を」との思いから始められた鎌倉薪能。

全国各地から観客が集まるなど初演から爆発的な人気を誇り、鎌倉の秋の行事として定着していきました。

 

抽選会

 

1978(昭和53)年に出版された「薪能」(鎌倉市観光協会発行)によると、発足当時は1,000人以上、10周年記念公演で3,500人に到達、第17回の頃になると4万6,000人を超え、観光協会はハガキの山で埋まるほどで、入場券の抽選風景をNHKが取材に訪れたこともあるほどの人気ぶりでした。​

(画像:抽選会風景)

 

 

 

 

鎌倉薪能の神事説明

  1. 神事開始の太鼓
    太鼓は、8打が3回、これは1日24時間を意味し、開始時刻の6打を加えて打ち鳴らされます。
     
  2. 修祓
    祓所に、主催者・正副奉行・関係者一同・観能者をお祓いし、心身を清めます。
     
  3. 祝詞奏上
    天下泰平と能の奉納の無事催行を祈願します。
     
  4. 玉串奉奠(二礼二拍手一礼)
    主催者、正奉行が関係者一同、観能者を代表し玉串を奉奠します。
     
  5. 僧兵による法螺三景
    法螺貝の音により能の開始が告げられます。
     
  6. 火入れ式
    古式に倣い、神前からご神火を松明にともし、神職、巫女と受け継ぎ正副奉行の手に渡り、篝に灯されます。
     
  7. 僉議文奏上
    正奉行が宣します。
     
  8. 神酒賜りの儀
    能役者の労をねぎらうべく、神前よりお神酒を賜り、奉行から能役者に渡されます。
     
※第65回鎌倉薪能では2~4を開場前に行うため、ご覧いただくことができません。

 

 

鎌倉宮由緒

鎌倉宮拝殿

鎌倉薪能の会場となる鎌倉宮は、1869(明治2)年に、明治天皇の勅命により創建された神社です。

ご祭神の護良親王は、後醍醐天皇の皇子で鎌倉幕府倒幕に貢献され建武の新政では征夷大将軍となりますが、これにより足利尊氏と対立する事となり鎌倉へ流され、尊氏の弟 足利直義によって鎌倉二階堂東光寺谷の土籠に幽閉されます。鎌倉幕府を滅ぼされた北条高時の遺児、時行が再び、数万の兵をもって鎌倉を奪還しようと攻め入り、この戦いに敗れ、直義は逃げ落ちる際、淵辺義博に親王暗殺を命じ、親王は御年二十八歳で悲運な最期を遂げる事となります。

 

 

 

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主催:鎌倉市観光協会
共催:鎌倉市
後援:神奈川県、鎌倉宮