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鎌倉十井

かまくらじっせい

 

 

江戸時代、水質に恵まれない鎌倉の土地において、質の良い水が湧き出す井戸は貴重な水源でした。鎌倉十井(かまくらじっせい)とは、水質も良く美味で、伝説やいわれが残る鎌倉を代表する十の井戸のことです。
江戸時代に鎌倉遊覧が盛んになり、名所旧跡を名数を使って紹介したのがはじまりと言われています。

 

いずみのい
泉ノ井

泉ノ井
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扇ヶ谷にある浄光明寺前の道の奥にあり、十井の中では比較的原型が良く残っています。こんこんと清水が湧き出た往時の勢いこそありませんが、今でも清水が湧き出ている井戸です。また、徳川光圀の『鎌倉日記』には、「泉井谷ノ辺ニ潔キ水湧出ル也」との記述も残っています。この辺りは、泉ヶ谷(いずみがやつ)とも呼ばれますが、この井戸の名からきていると言われます。

 

 

おうぎのい
扇ノ井

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▶民家の敷地内のため非公開

浄光明寺から薬王寺に向かう道の途中にある井戸。その名の由来は、井戸の形が扇の形をしていることからといわれていますが、源義経の愛妾、静御前が舞扇を納めたからとも伝わっています。現在は民家の敷地内にあるので、公開されていません。この辺りの「扇ガ谷」という地名はこの井戸に由来するという説もあります。

 

 

かんろのい
甘露ノ井

甘露ノ井
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浄智寺の総門横の小さな石橋の脇にある井戸。この井戸の水は蜜のように甘く、不老不死の効能があるといわれていたことから「甘露ノ井」という名前が付きました。

 

 

くろがねのい
鉄ノ井

鉄ノ井
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小町通り北の橋、鶴岡八幡宮に通じる道の角にある井戸で、どんなときでも水が枯れたことがないと言われています。正嘉二年(1258年)、現在の鎌倉市役所のあたりから起こった火事が扇ガ谷の寿福寺や新清水寺(現存しない)、鶴岡八幡宮の若宮などを焼いてしまった際、新清水寺の鉄の観音像が土の中に埋まってしまいました。その後、この井戸を掘った際に、観音像の頭部が井戸から掘り出されたことから「鉄ノ井」と呼ばれるようになったとされます。江戸時代までは、井戸の向かい側に観音像の頭部を安置した鉄観音堂があったそうですが、現在は人形町(東京)の大観音寺に移され、本尊となっています。

 

 

そこぬけのい
底脱ノ井

底脱ノ井
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扇ヶ谷の海蔵寺門前にある井戸。名前の由来は、鎌倉時代中期の武将で幕府の重臣だった安達泰盛の娘(幼名千代能)が水を汲んで桶の底が抜け、「千代能がいただく桶の底脱けて水たまらねば月もやどらじ(ず)」と詠んだ歌による、とされています。また一説には、室町時代に尼として修行していた上杉家の娘が桶に水を汲んだところ桶の底が抜け、「賤の女(しずのめ)がいただく桶の底脱けてひた身にかかる有明の月」と詠んだから、ともいわれています。

 

 

ちょうしのい
銚子ノ井

銚子ノ井
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長勝寺門前近くの狭い路地を入ったところにある井戸。その名の由来は、井戸の形がお酒を注ぐ銚子に似ていることにあります。井戸の内側は円ですが、外側は六角形でその一辺はつぎ口のように突き出しています。別名「石ノ井(いしのい)」ともいわれていますが、これは長勝寺の開基である石井長勝にちなむとも、六枚の花びらのような形をした蓋や側面が石造りになっているからとも言われます。

 

 

つるべのい
瓶ノ井

瓶ノ井
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明月院境内にあり、現在でも使用できる井戸。別名「甕ノ井(かめのい)」。その名の由来は、内部に水瓶のようなふくらみがあることからとも、二個の瓶を並べて上下させながら水を汲む井戸の意味からともいわれています。

 

 

ほしのい
星ノ井

星ノ井
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極楽寺切通の登り口にある井戸。「星月夜ノ井」、「星月ノ井」ともいわれています。その昔、この辺りは山深く昼間でも暗かったため、この井戸を覗くと水面には昼間でも星が輝いて見えたことからこの名が付いたといわれています。井戸の水は清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人に飲料水として売られていたそうです。鎌倉の歌枕「星月夜」は、この辺りの谷の名である星月夜ヶ谷(ほしづきよがやつ)からきているといわれています。

 

 

むなたてのい
棟立ノ井

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▶非公開

覚園寺薬師堂の背後の山際にあり、井戸の形が家の棟の形をしていることからこの名がついたといわれ、屋根の形から破風の井(はふのい)とも言われています。また、弘法大師がこの地に滞在したときに井戸を掘り、ここから閼伽水(あかみず)という仏に奉納する水を汲んだという言い伝えがあります。

 

 

ろっかくのい
六角ノ井

六角ノ井
※2019年の台風被害により現在シートがかかっています
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材木座から小坪(逗子市)に抜ける海際の道沿いにある井戸で、別名「矢の根ノ井」。井戸端は八角あり、そのうち六角が鎌倉分、二角が小坪分といわれています。平安時代後期に弓矢の名人であった武将の源為朝が伊豆大島から鎌倉の光明寺の裏山にある天照山めがけて射た矢がこの井戸に落ち、矢じりが残ったことから、この名がついたといわれています。かつては井戸替えの際に、矢じりを入れる竹筒を取り換えていましたが、これを怠った年は悪い病が流行ったと伝えられています。矢じりは今も竹筒に封じて、井戸の中段にまつってあります。

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