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【静の舞】あらすじ


静御前が、愛する義経をしのんで舞う

第64回鎌倉まつり「静の舞」
西川流 西川 翠菜(2022年4月10日撮影)

 

鎌倉時代の正史とされる「吾妻鏡」によると、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、平家追討に武勲のあった弟義経と不仲になり、義経追討の兵をあげます。義経は京の白拍子《静》とともに、武蔵坊弁慶らわずかな手兵をつれて吉野山に逃れました。

頼朝側の追手が迫る中、義経一行は山伏姿になって東国に向うことに。静には金銀を持たせ、供の者をつけて京都へ送らせました。ところが、途中で供の者たちに金銀を奪われ、山の中に置き去りにされた静は捕らえられてしまいます。その後、鎌倉の頼朝のもとへ送られ、義経の行方を厳しく問われますが、静は答えません。

頼朝とその妻政子は、舞いの妙手として京で名高い白拍子静の舞いを見たいと、静に鶴岡八幡宮での舞いを求めます。病気を理由にその申し出を断っていた静も、熱心な求めに観念し、ついに舞の舞台に上ります。その舞台で静はこのように詠い、舞いました。

 

よしの山 峰の白雪ふみ分けて いりにし人の あとぞこいしき
訳:吉野山の白雪を踏み分けて奥州に消えたあの人《義経》の跡が恋しく思われる

しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな
訳:「静、静」と繰り返し私の名を呼んだあの人が輝かしかった頃にまた戻りたいものだ

 

そのあでやかな美しさは、居並ぶ幕府の者たちを感動させましたが、頼朝は「自分に逆らう義経を恋い慕う歌を詠い舞うとは不届きだ」と激しく怒ります。それを見た政子は、かつて自分が頼朝を思い慕った日々の女としての苦しさ、悲しさを教え諭して、頼朝の怒りをなだめます。

おかげで処分を免れた静は、市内の片隅に住居を与えられ、お腹に宿していた義経の子である男の子を産みましたが、「男子を生かしておいては将来に禍根を残す」と、幕府はその子を取り上げて由比ガ浜の海に沈め殺めてしまいます。傷心の静は京に帰されますが、それ以来静の消息は途絶えました。

静御前のこの悲しい物語は、以後も人々の胸に残り、語りつがれ、謡曲や浄瑠璃にも作られて、今に残されています。

 

 

 

 

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