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三浦 義澄


 みうら   よしずみ
三浦 義澄​ (1127​~1200​年) 

 

三浦義澄 

 

相模国の在庁官人で、三浦郡を本拠とした武士です。源頼朝が挙兵すると、義澄ら三浦一族は石橋山に向かいましたが、川の増水に阻まれ合流できず、三浦へ戻る途中、武蔵国(今の東京都、埼玉県及び神奈川県の一部)の武士・畠山重忠(のちに頼朝に臣従)に遭遇し、合戦になります。さらに後日、平家の軍勢が三浦氏の本拠地・衣笠城に攻め入ると、老齢の義澄の父・義明は城に立てこもり、頼朝への加勢を託して自害しました。一方、義澄ら一族は海上へと逃れ、石橋山の合戦で安房国に敗走した頼朝を助けました。頼朝が没し、源頼家が鎌倉殿を継ぐと、鎌倉殿を支える13人の重臣に選ばれますが、翌年死去しました。その後、義澄の子・義村は、北条氏に協調的でその勢力を強めていきました。

 

ゆかりの地

 

法華堂跡(北条義時墓)
北条義時墓

鎌倉市西御門2-757

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

​​鎌倉市雪ノ下3丁目​

 

来迎寺【材木座】
来迎寺【材木座】

鎌倉市材木座 2-9-19

 

 

 

 

 

 

▼そのほかの重臣たち
北条 義時
北条義時

北条 時政​
北条時政

安達 盛長
安達盛長
梶原 景時​
梶原景時
比企 能員
比企

和田 義盛
和田義盛

足立 遠元
足立遠元

八田 知家
八田知家

中原 親能
中原親能

大江 広元
大江広元

三善 康信​
三善康信
二階堂 行政​
二階堂行政

 

 

 

 

 

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