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北条 時政


ほうじょう ときまさ
北条 時政 (1138​~1215年) 

 

北条時政 

 

北条義時や源頼朝の妻・政子の父で、頼朝が挙兵すると一族をあげて頼朝を支えました。平氏が滅亡し、頼朝とその弟・源義経が対立すると、時政は頼朝の代官として京都へ上り、政治的な交渉や京都の治安維持にあたりました。頼朝が亡くなると、2代目の鎌倉殿・源頼家のもと、13人の重臣に選出されますが、頼家の妻・比企氏との間に確執が生まれます。時政は比企能員を自邸に招き殺害、比企一族を滅亡させ、源実朝を鎌倉殿に立てました。その後、有力御家人の畠山重忠・重保父子を誅殺し、後妻・牧の方との娘婿・平賀朝雅(ひらがともまさ)を鎌倉殿に立てようとしましたが、政子・義時と対立して失脚し、退いた伊豆で10年を過ごした後、亡くなりました。

 

ゆかりの地

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

鎌倉市雪ノ下3丁目

 

宝戒寺​
宝戒寺

鎌倉市小町3-5-22

 

 

 

 

▼そのほかの重臣たち

北条 義時
北条義時

安達 盛長
安達盛長

梶原 景時​
梶原景時

比企 能員
比企
三浦 義澄​
三浦義澄

和田 義盛
和田義盛

足立 遠元
足立遠元

八田 知家
八田知家

中原 親能
中原親能

大江 広元
大江広元

三善 康信​
三善康信
二階堂 行政​
二階堂行政

 

 

 

 

 

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