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鎌倉幕府の所在地の変遷


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大倉幕府(1180-1225)
源頼朝は1180年(治承4)鎌倉に入ると大倉の地に屋敷を構え、ここに侍所、公文所、問注所(後に移転)などを整備。碑を中心に東御門、西御門と金沢街道に囲まれた地域に幕府があったと考えられる

宇都宮辻子幕府(1225-1236)
実朝の死後、北条氏は京都より藤原頼経を将軍に迎えたが、政子の死により、北条泰時は心機一転のため、1225年(嘉禄1)に幕府を移転。辻子とは大路を結ぶ小道の意味で、幕府は若宮大路と小町大路に囲まれた宇都宮辻子の北側200mにあったと考えられる。

若宮大路幕府(1236-1333)
親王屋敷とも呼ばれ、4代将軍藤原頼経から9代将軍守邦親王まで存続。若宮大路幕府の位置については碑が示すように鶴岡八幡宮側の横大路に面していたという説と、位置は宇都宮辻子幕府と同じで出入口が若宮大路に面していたという説がある。

基本情報

住所

大倉幕府:鎌倉市雪ノ下三丁目、
宇都宮辻子幕府:小町二丁目
若宮大路幕府:雪ノ下一丁目

あたりだったと言われています。

行き方

JR鎌倉駅東口から徒歩5~10分