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やぐら~それは中世への入口~

鎌倉のそこここに見られる、切り立った岩肌にぽっかり空いた洞穴。これらは「やぐら」と呼ばれる中世の墳墓である。なぜ鎌倉独特の横穴式墳墓ができたのか。三方を山、一方を海に囲まれた鎌倉は、要害都市ではあったが、その分平地の少なさが泣きどころだった。やぐらは平地面積を削らずにできた唯一の墓だったのである。

玄室と呼ばれる方形の空間。その中央には仏像や供養塔が置かれている。壁に彫刻が施されたりしているのは、死者を供養するお堂の機能を兼ね備えているからだ。日夜戦いに明け暮れる武士たちは信仰心もあつかったため、やぐら供養はさかんに行われた。

代表的なものには、葛原岡神社の北側の谷にある「瓜ガ谷やぐら群」、瑞泉寺から天園に向かうハイキングコースにある「瑞泉寺裏山やぐら群」、北条高時らが自害して果てた東勝寺跡の「高時腹切りやぐら」、巨大な明月院のやぐら、浄光明寺の「網引地蔵やぐら」などがある。

また、現在は逗子市に属するが、名越切通に面して150以上のやぐらが群をなす「まんだら堂やぐら群」は、山陵に穿たれたやぐら群として傑出している。谷戸奥、辺りの植物に覆われながらひっそりと口をあけるやぐらは、中世に通じるタイムトンネルのようにも見える。鎌倉の歴史の息づかいをもっとも色濃く残している貴重な遺物といえるだろう。

まんだら堂やぐら群の画像
まんだら堂やぐら群(逗子市教育委員会提供)

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