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鎌倉ってどんな街? キーワードは“海”“山”“武家”!


鎌倉の街並みイメージ

鎌倉といえば、何を思い浮かべますか?
海、山、そしてお寺や神社をイメージする方が多いのではないでしょうか。

そう、鎌倉の大きな特徴は、南側は海に面し、その他三方は山に囲まれた立地。
「鎌倉時代」には幕府が置かれ、日本の政治において最も重要な位置を占めた、天然の要塞です。

ユニーク!寺院が密集する宗教都市・鎌倉

鎌倉大仏の写真 鎌倉大仏殿高徳院

日本初の武家政権「鎌倉幕府」の誕生により国の中心になった鎌倉では、平安時代から続く京都や奈良の貴族文化や、中国の宋・元の文化に、質実剛健を旨とする武家の精神性や、庶民文化が融合して、独自の「武家文化」が形作られました。

自然、宗教面でも変革が起こり、鎌倉時代には「鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)」を始めとして、多くの寺院が開かれました。

このようにして、武家政権の誕生を契機に、京都とも奈良とも異なる鎌倉ならではのユニークな文化が作られていきました。そんな背景を知って街を歩くと、またいつもと違った見え方になるかもしれませんね。

驚き!江戸時代には、すでに人気観光地だった鎌倉

稲村ガ崎からの江の島 富士山と江の島のキャプション

隆盛を極めた鎌倉幕府が滅び、幕府が京都に移った後しばらくして、鎌倉はかつての活気を失い、農業と漁業の村になってしまいました。
ですがその後、江戸時代に入ると社寺は復興し、同時に江の島など「景勝地」が、徐々に江戸の町人に知られるようになると、今でいう「ガイドブック」のようなものも数多く出回るように。

鎌倉の“観光地化”が始まりました。

三方を山に囲まれ、一方が海に面した風光明媚な鎌倉は、江戸時代にはすでに、観光地として人気を集めていたんですね。

武家から文士へ!洗練された文化の町・鎌倉へ

鎌倉ペンクラブ 鎌倉ペンクラブでの文士ら

鎌倉に、さらなる転機が訪れるのは明治22年(1889)。
横須賀線が開通すると、温暖な気候と美しい風景を持つ鎌倉は、保養地・別荘地として、また文化人の集まる町として、改めて日本中に知られるようになります。

明治から大正時代にかけて、泉鏡花や島崎藤村、夏目漱石、芥川龍之介ら数々の文化人が鎌倉に滞在。大正時代に入ると、里見とん、久米正雄の二人が鎌倉に暮らし始め、後に「鎌倉文士」と呼ばれる多くの文士たちのまとめ役になりました。昭和8年には、久米らが中心となり、永井龍男、大佛次郎、川端康成、横山隆一、小林秀雄、島木健作ら42人の作家、文化人がなお連ねる「鎌倉ペンクラブ」が発足。

鎌倉の町は、時代を先取りした文化の町として、多くの観光客を集めていきます。

そして今!日本を代表する観光都市・鎌倉

サーフィンの写真

武家文化が育んだ独自の文化に、その後の漁村・農村としての素朴な風土、さらに後の文化人たちが形作ったハイカラな雰囲気など、激動の歴史の中で様々な文化が融合してきたユニークな町・鎌倉。

今では、そこに多くの人が暮らし、いい波を求めるサーファーたちや、海水浴客、国籍・年代・性別も様々な観光客などが集う、日本を代表する観光都市になっています。

鎌倉ならではの豊饒な文化を楽しみに、鎌倉へいらしてください。

きっと、忘れられない体験が待っています。

 

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