時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~
大町・材木座エリア
日蓮聖人を開山として1253(建長5)年に創建。 安国論寺も妙法寺と同じく松葉ヶ谷法難の跡と伝えられる。 日蓮聖人が鎌倉にきて初めて道場とした岩窟がこの寺が...
もとこの地には尊観が開いた浄土宗の善導寺があった。のちに北条政子が亡き夫頼朝の冥福を祈って建てた長楽寺が焼失したため、鎌倉末期にこの善導寺の跡に長楽寺を移し、政...
専蓮社昌誉能公を開山として、時の執権北条時頼の夫人が建てたと伝えられる。 ここにまつられている地蔵像「身代わり地蔵」は双六の勝負で旗色の悪かった夫人を救ったと...
知阿を開山として、後北条氏の三代北条氏康が光明寺境内に立てたのが始まりといわれています。 現在の場所には以前、光明寺の末寺である善昌寺がありましたが廃寺となり...
材木座の氏神。 1908年(明治41)に町内にあった八雲、三島、諏訪、金比羅、視女八坂の五つの神社を一緒にしてまつった神社である。
この地は、鎌倉時代の武将工藤祐経の屋敷跡で、その後娘の子という日昭がその屋敷跡に法華堂を建てたのがはじまりで、その後、法華堂は法華寺となり三島市に移り、1621...
1333年(元弘3)新田義貞が鎌倉攻めをしたときの本陣をかまえた場所で、義貞が北条方の戦死者の霊を慰めるため1337年(延元2)に建立したといわれる。 山...
ここの裏山は、かつて源頼朝が由比ヶ浜を遠望するため桟敷を設けたといわれる。 また、この地に住んでいた左衛門尉祐信の妻、桟敷尼が、処刑場に引かれていく日...
このあたりは、新羅三郎義光(源義光)が、後三年没後この地に館をかまえ、子孫の佐竹秀義以後、数代が居住した。 1399年(応永6)義盛が出家し、多福寺を...
この地は、本圀寺の跡地であるといわれる。 本圀寺はこの地方の領主石井三郎長勝が日蓮に帰依し、邸内に小庵を建てて寄進したもので、本圀寺が京都に移された後、1...
源頼朝が1181年(養和元)文覚上人を開山として建てたといわれる補陀洛寺は、源頼朝公御祈願所であり、頼朝の供養をここですることになっていたといわれています。...
ここはもと、源頼朝が1194年(建久5)に武将三浦大介義明の冥福を祈って建てた能蔵寺という寺があった場所で、その後、開山となった音阿が来迎寺と改めたといわれ...